■プロフィール

宮本 さとし

Author:宮本 さとし
1955年和歌山市生まれ。
京都産業大学卒。
大学時代のサークル活動: 学生セツルメント(生き方の原点になりました)
総合電機器機商社(カナデン)に20年勤務。
北青葉台こども会会長、加賀田サッカークラブ育成会会長、石仏小PTA会長、加賀田中学校PTA役員など
98年市会議員に初当選。
河内長野日本共産党市会議員
家族:妻、一男(近くに住んでます)、一女
趣味:下手ですけどテニスにはまってます(週二回程度夜中にやってます)
若いときには、登山、スキーなど!

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8月15日に思うこと
8月15日。 終戦から68年
戦争の悲惨さに思いをはせ、平和の決意を呼びさます日です。
 
 あの悲惨な戦争を直接経験された方が少なくなってきました。
大正生まれだった私の父親も亡くなり母親も一昨年亡くなりました。
 あまり戦争体験を語らなかった父親ですが、机を整理していると軍隊手帳が出てきました。

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一度は召集され入隊したそうですが子供のときの大きなけが(レントゲン撮影の失敗による)が入隊中に悪化し、返されてきたと聞きました。入隊した部隊は全滅に近かったという話しも聴いた記憶があります。彼なりに後ろめたさみたいなものを持っていたのかも知れません。
しかし子供のときの怪我が彼を救い、そのお陰で私が存在しています。少し変な気持ちです。

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 母親は和歌山空襲の話しをよくしてくれました。(私の実家は和歌山市内です)裏庭につくった防空壕の中で頭の上をB29が焼夷弾を落とす様を目のあたりに見てきたそうです。
 
 和歌山空襲は 昭和20年1月9日に始まりましたが、もっとも被害が大きかったのが7月9日のB29による大空襲です。1編隊が通った後、次の編隊が、さらに第3の編隊がまた落としていくといった文字通りの波状攻撃で、午後11時36分に始まり、翌10日午前2時30分まで、縦横無尽の猛攻撃が続きました。
 
 大空襲による市内の火災は、7月10日朝5時ごろになって、大体燃えるものは、燃え尽くして、ようやく収まったが、これまで市の象徴として市民が見慣れた和歌山城の天守閣は、一夜にしてその姿がかき消されました。
 この空襲よる全市の被害は、全焼2万7,402戸・重軽傷者4,438人、死者1,101人という大惨状でした。
<総務省HPより>
 
 実家は和歌山城から直線距離で約2.7km その当時まわりは田んぼと畑の中の一軒家だったので標的にはならず、こぼれだまが2~3発近くに落ちた程度で助かったそうです。防空壕から見る北の空は真っ赤になりこの世のものとは思えない時間が過ぎていったそうです。しばらくたち、焼け出され水を求めて逃げてくる人々に水を差し出すのが精一杯だったこと、
 
 また竹槍訓練にもいったそうです。パラシュートで降りてくるアメリカ兵と戦うため?
不思議でならなかったそうですが、そんなことは一言も言えなかったようです。そんな話しを聞かされたのを覚えています。

img021-2.jpg
 
 13日、照りつける夏の日差しの中、両親のお墓参りに行ってきました。
今「日本を取り戻す」どころか「戦前に引き戻そうとする」動きが強まっています。どんな強い軍隊でも国民をまもることはできません。日本という名刺にある肩書き「憲法九条」こそ他国の信頼を得る力です。その力で外交にもっと力をそそぐべきではないでしょうか。

 平和の尊さをかみしめ、平和を守る力を大きく前進させる決意を新たにしたいと思います。
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